情熱と、優しさと

父が語る①

46歳、裸一貫からのスタート

私が住宅建築を生業とするようになったのは、昭和57年、46歳の時です。ずいぶんと遅いスタートでしょう?兄が経営していた貸ビル業の会社を辞め、全くの裸一貫からの出発でした。2人の息子は中学生になっていたし、家内には言うに言えない苦労をかけましたが、どうやら無事に軌道に乗せることができたのは、周囲の皆様からの有形無形の援助があったればこそ、と感謝しております。

田舎の小さな工務店の親父でも、これまでの道のりにはそれなりに山あり谷あり、そして涙と笑いがありました。この場を借りてそれを皆様に聞いていただくのは、おこがましいような、恥ずかしいような複雑な気分ですが、自分の気持ちの整理の意味もこめて振り返ってみたいと思います。

早く自立したかった少年時代

私が生まれたのは大分県佐伯市宇目町という山里です。山林に囲まれた環境の中で育った私は、自然に山仕事を覚えました。

5人兄弟の末っ子で、しかも三男でしたから、早く働いて自分で食べていけるようにならなくてはいけません。3歳の時に父を亡くし、母が女手ひとつで私たちを育ててくれていたこともあって、余計に自立心は強かったようです。専門学校を出ると佐伯市内の材木店に就職して、材木の扱いに関する知識を学び、その後次兄とともに山の飯場で商社に売るための木を伐り出す仕事をして、事業を興す元手を蓄えました。まあ、あの頃は本当によく働きましたね。そのおかげで次兄が社長を務める会社は順調に発展し、ビル建築、貸ビル、不動産管理、レストラン経営と、事業の手を広げていきました。

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